大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(あ)1996号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

福岡高等検察庁検事長市島成一の上告趣意第一、二点について。

所論は原判決が暴力行為等処罰に関する法律違反の点について期待可能性を欠き、責任阻却の事由があるとして無罪を言渡した点について、また仮にこれを認めるとしてもその判断の基準に関して、従来の最高裁判所、大審院、高等裁判所の判例と相反する判断をしているというのであるが、引用の諸判例は、いずれもその挙示の証拠により、犯罪事実を認定するに当り、情状の斟酌、法令の解釈その他に関し必要な説示、判断を示したに止まり、判文中期待可能性の文字を使用したとしても、いまだ期待可能性の理論を肯定又は否定する判断を示したものとは認められないし、更に進んでその基準を示したものとも認められない。されば、所論判例違反の主張はその前提を欠くものであって、採るを得ない(昭和二八年(あ)五四六九号同三三年七月一〇日第一小法廷判決、同二八年(あ)三五四八号同三三年九月一二日第二小法廷判決参照)。

弁護人諌山博の上告趣意第一点について。

所論は、本件被告人らの所為は正当な団体交渉の範囲に属するのであって、これを違法と認めたのは憲法二八条、労働組合法一条二項の解釈、適用を誤ったものであるというのであるが、当裁判所大法廷の判例によれば、刑法所定の暴行、脅迫が行われたときは、憲法二八条の保障する団体交渉権の行使ということができず、労働組合法一条二項の許容しないものであるというのであって(昭和二二年(れ)三一九号同二四年五月一八日大法廷判決・刑集三巻六号七七二頁)、本件のように被告人らにおいて、天辰勤労課長が拒否するのにかかわらず、判示の日午後五時頃数十名と共にクラブ玄関から屋内に入り、所長、副長らの意思に反して強いて同人らを組合員百数十名の待機する大広間に連れ出し、罵詈雑言を浴びせた上、その周囲を強烈に足踏みして同人らに危険を感ぜしめたばかりでなく、他の組合員らと共に会社幹部の手足を取って強いて三輪車に積み込んで約一五〇〇米を隔てる山上に孤立する組合専用の洗心館に拉致し、多数組合員の包囲喧噪下に一方的に追求し、翌日午前一時三〇分頃まで監禁した所為が、刑法所定の暴行、脅迫、監禁に当らないとは到底いえない。違憲の所論はその前提を欠くものである(昭和二四年(れ)一六二二号同二八年六月一七日大法廷判決・刑集七巻六号一二八九頁参照)。

同弁護人の上告趣意第二点について。

所論は、原判決が本件被告人らに不法監禁の成立を認めたのは、期待可能性がなく責任を阻却されるべきであるのにこれを有罪とした違法があるというのであるが、後に職権で調査するところにより判示するようにこの点に関する限り原判断は相当であって、所論は採用できない。

同弁護人の上告趣意第三点について。

所論は、原判決が無罪部分について生じた訴訟費用を被告人らに負担させた違法があるというのであるが、右第一点につき判示したように本件は連続した一連の行為であって第一審判示第一事実に関する証拠は、同第二事実にも関係があるから、訴訟費用全部を被告人らに負担させたことは相当である。引用の判例は、本件に適切でない。

以上のように検察官、弁護人の所論は何れも採用できないが、職権で調査すると原判決は、前示のように昭和二八年一〇月一二日午後五時頃より翌一三日午前一時半頃までにおける、三菱炭砿新入砿業所の労働争議に際しての被告人ら組合員百数十名により行われた暴行、脅迫及び不法監禁なる一連の違法行為について、その前半の暴行、脅迫のみを切り離してこれを期待可能性がないものとして無罪とし、後半の不法監禁は期待可能性がないとはいえないとして有罪としているのである。ところで刑法における期待可能性の理論は種々の立場から主張されていて帰一するところを知らない有様であるが、仮に期待可能性の理論を認めるとしても、被告人らの行為が苟くも犯罪構成要件に該当し、違法であり且つ被告人らに責任能力及び故意、過失があって法の認める責任阻却事由がない限りは、その罪責を否定するには首肯するに足りる論拠を示さなければならないことはいうまでもない。

しかるに、原判決が一審判示第一(一)、(二)の所為につき期待可能性がないということで罪責がないと判断した理由の要点は、(一) 被告人中村は判示労働組合の組合長、被告人倉田は同労働部長であるところ、同組合は判示会社砿業所の配置転換計画を協約違反であるとしその撤回を求めてストを決行中、判示の月一一日組合代表者から砿業所に対し明一二日以降部分スト、指令ストを行うことを申し入れ、正式文書を翌一二日に持参する旨予告し、争議中であった、(二) 右配置転換反対闘争には相当の理由があったのに容易に妥結を見ず、組合側は急速な解決を欲する事情があった、(三) 右一二日当日被告人らは砿業所事務所に赴いたが、予告にも拘わらず砿業所幹部の姿が見えず、強い不満を感じた、被告人らが判示職員クラブに到着したとき一般組合員、判示主婦協議会員等多数が同様に憤慨して同所に押しよせていた、被告人らの意図は、同クラブで幹部に組合員多衆の面前で前記通告書を手交し、かつその当日の逃避的不誠意態度を詰問し、謝罪させることを主眼としていた、(四) 同クラブでは砿業所側は組合代表者のみの入所を求め、被告人らの欲するように幹部が組合員ら多衆の面前に出て応答することが望めなかったため、被告人両名は組合員らの盛り上る勢に引きずられ、判示の所為に出で幹部を大広間の多衆の面前に連れ出した後、喧噪裡に右通告書を松原所長に手交し、詰問し、謝罪させようとしたが、目的を達せず、組合員らはいよいよ激昂しおのずとワッショイ、ワッショイをやろうとする空気が現われたので、被告人中村が指図して判示のように床の上で足踏をするに至り、さらに追求するも満足な回答をえないため一般組合員が更に騒ぎ出し「七坑に連れて行け」「洗心館に連行せよ」との声が起るや同被告人はこれを阻止するも無駄であると考え、他の組合員とともに松原所長を玄関まで連れ出したが、他の組合員らによりその余の幹部が乱暴にも手足を捕え胴を持って担ぎ出されるのを見て、これを制止するに努めた、(五) 判示の各所為により相手方に加えた危害と自由抑圧との程度は左程高度のものとはいえない、右の諸事情に加えて、一般に労働組合の白熱化した争議中においては組合員が興奮し勢の赴くところある程度の暴行沙汰は往往起り勝ちのことである、等というにある。

しかし、原判決が認めた第一審判決判示第一の所為につき右に列挙するような事情が認められるとしても、それだけでは右所為につき被告人らの罪責を阻却する事由とはならないから、被告人両名の右所為はいずれも暴力行為等処罰に関する法律一条一項に該当する犯罪であるといわなければならない。原判決がこれにつき罪とならないものとして無罪の言渡をしたのは法律の適用を誤まった違法があるか又は理由を附しない違法があるもので原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものというのほかない。

よって、刑訴四一一条一号に従い、この点につき、監禁罪の成立を認めた第一審判決判示第二の所為とともに更に審判をなさしめるため原判決を破棄し本件を原裁判所に差し戻すべきものである。

この判決は、裁判官垂水克己の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官垂水克己の意見は次のとおりである。

(1) 「法は不能を強いない。」「刑法は人に不可能なことをすべき義務を課さない。」ということは普遍的妥当性ある法理であり、従来一般にうけいれられている、と私は考える。過失の成立には必要な注意義務を怠ることが要件であり、刑法一三〇条の不退去罪、二一八条の老幼病者等の保護責任者の不保護罪、外国人登録法一八条の登録不申請罪その他、不作為犯の成立には作為義務違反を要件とするが、本人が義務履行不可能の状態におかれていたときは義務違反、従て罪責はないとされる。不可抗力、絶対強制、意思の反抗を抑圧する程度の脅迫の下では義務違反はない(あるいは義務がない、行為がない)とされる。列車の運転者は、普通の場合、列車の後方を注視する義務はなく、母親は幼児を放任すれば負傷するかも知れない状態を認識しても母親自身発声身動きできない状態におかれていたときは不保護罪は成立しない。

検事長上告趣意第一、二点についての説示に引用された昭和二八年(あ)五四六九号同三三年七月一〇日第一小法廷判決の事件で、控訴審は、「すべて義務の履行はその履行が可能な限りにおいて期待さるべきであるから、もし義務者のおかれた諸般の情況が義務者をしてその義務の履行を不可能ならしめるような場合には、たとえ義務の不履行があったからといってその不履行につき義務者の責任を問うわけにはいかない。」「第一審の認めた事情は被告人(東京芝浦電気株式会社の代理人、川岸工場長)に対し本件失業保険料納付義務の履行を期待することは不可能であったと見るのが相当で不履行につき故意がなかったものとするほかない」との趣旨を判示したが、第一小法廷は「旧失業保険法三二条に違反して事業主たる法人の代理人等が被保険者の賃金から控除した保険料をその納付期日に納付しなかった場合というのは……少くとも事業主が保険料納付期日までに、代理人等に、納付すべき保険料を交付する等、事業主において、右代理人等が納付期日に保険料を現実に納付しうる状態に置いたに拘わらず、これをその納付期日に納付しなかった場合をいう……そのような事情の認められない以上は……納付しなかったその代理人については右違反を処罰する同法三二条、五三条二号、五五条の犯罪の構成要件を欠き無罪たるべきものである。控訴審判決はその理由において当裁判所の判断と異るところがあるがその結論は正当たるに帰する」との趣旨を判示した。この控訴審、上告審とも「法は不能を強いない」の理論に立ち、それに止まっているように見られる。

しかし、「法は不能を強いない」の理論は、期待可能性論の母かも知れないが期待可能性論そのものではない、と私は考える。

(2) 本件について検討する。私の考えでは、原判示組合が判示会社側の配置転換に反対して争議をなし判示の月一二日以降部分スト、指令ストを行うことが正当であり、その正式通告文書を一二日に持参する旨を予告したのに一二日当日会社砿業所幹部が正当の事由なく面会を回避したことは失当であり、組合側としては急速解決を欲する事情があったとしても、一二日夕刻被告人両名が判示職員クラブに赴き砿業所側幹部より組合代表者のみの入所を求められた以上は、組合代表者のみが入所し幹部に面会して右正式文書を手渡し説明、詰問、応答あるいは謝罪要求をすれば足りかつそれに止めるべきであったので、幹部等が組合員多衆の面前に出て正式文書を受け取りそこで被告人等組合員の満足する程度の謝罪、弁明をすることを欲せずこれをしなかったとしても、被告人両名としては一般組合員数十名とともに天辰勤労課長の拒否にも拘わらず右クラブの屋内に乱入し奥副長の腕をつかみ大広間にこれを拉致し、更に松原所長外二名をも強いて同広間に拉致し多数組合員に対し「駈足してくれ」と指図し彼等をして掛声もろとも強烈な足踏をさせ右幹部等の座っている床を数分間ひどく上下に動揺させるようなことや更に他の組合員とともに松原所長の腕をつかみ強いて玄関まで連れ出すような所為をなすことは許されなかったのであり、被告人等及び組合員等は、右の場合、幹部等に対し詰問し非難し激怒することは自由であっても、これに対し暴行、脅迫を加えることは法の厳然として禁止するところであり、そして、原判決の事実認定によれば、被告人等は、当時、かような行動に出でない自由を持ちそれが可能な状態にいたといえるのである。また、原判示によれば、一般組合員が騒ぎ出し「洗心館に連行せよ」などの声が起った後でも、被告人は自から他の組合員とともに松原所長を玄関まで連れ出す行動をしないでおれたということもできる。

判示事実によれば、被告人両名が組合長、労働部長であったということは、組合員等の間におのずとワッショイ、ワッショイをやろうとする空気が現われたときに、むしろこれを阻止する可能性の多い状態にいたことを意味する。相手方に加えた暴行等による害悪は左程高度のものではないにせよ、労働組合の交渉相手に対するものであり、零細な反法行為ともいえない。最後に、一般労働組合の白熱化した争議中には組合員が興奮し勢の赴くところある程度の暴行沙汰は往々起り勝ちのことであるという原判示は罪責否定の理由として到底是認できない。これは「かくある労働争議」と「かくあるべき労働争議」とを混同している。また、憤慨興奮の余になされ、それが、心身耗弱の状態にまでなっていたとしても、刑法(三九条二項)は罪責を阻却しないのであって、被告人等に罪責なしとする理由にはならない。(刑法二四四条の親族相盗、同一〇五条の親族の犯人隠匿、証憑湮滅も刑の免除事由となるに過ぎない。)

以上、原判決が第一審判示第一事実につき罪責阻却事由として列挙した諸事情その他原審が確定した事実の全部を総合しても、被告人両名の右第一事実には犯罪の成立を阻却する事由があるとはいえない。単に量刑に影響する事情たるにすぎない。

(3) 私の結論は次のとおりである。

原判決が認めた第一審判決判示第一の所為につき原判決が期待可能性がないとする事情として列挙した(一)ないし(五)その他の原判示の事情が認められるとしても、それだけでは右所為につき被告人らの罪責を阻却する事由とはならないから、被告人両名の右所為はいずれも暴力行為等処罰に関する法律一条一項に該当する犯罪であるといわなければならない。原判決がこれにつき罪とならないものとして無罪の言渡をしたのは法律の適用を誤まったものであるから、当裁判所は原判決の確定した判示第一の事実に同法同条項を適用すべきものとする。ただし、量刑のみについては原審に差し戻し同判示第二の所為とともにこれをなさしめるのを相当とする。

要するに、原判決が刑罰法規の各本条に該当する行為があった事実を認定し、そのほかに一定の事実の存した事実を認定し、後者の事実は犯罪の成立を阻却する事由に当ると判示し被告人の所為は刑法上罪とならないと判示した場合において最高裁判所が(事実誤認の疑を抱かずに)、後者の事実は前者の行為が犯罪となることを阻却すべきいかなる事由ともならないとの法律見解に立つときは、直ちに、前者の事実に法律を適用してこれにつき有罪の判示をしなければならない。ただし、本件のように、原審がその事実を罪とならないものとして無罪判決をした以上、これについて量刑判断をさせるためにのみ破棄差戻判決をすることは相当である。原審の期待可能性論の意義、理論構成、適用の限界に関する法律見解は、それが不明確不十分であっても、上告審はそれに拘わりなく自己の抱懐する法律見解に従って罪責の有無を判定すべきであって、何らかの法律上の罪責阻却事由の存否を再考させるためだけの破棄差戻は一般にありえない。

今日の期待可能性論の内容は学者によってまちまちのようであり、下級裁判所の判決や上告趣意においても十分にその意義、理論構成、適用限界が示されていないのではなかろうか。だから最高裁判所としてこの理論を肯定も否定もできないのはむしろ当然であろう。もし、或る下級裁判所の判決や上告趣意で示された、あるいは、一学者の示した期待可能性論が最高裁判所の心(リーガル・マインド)を捉えるならこれは受けいれられるであろうと推測する。それまでは「法は不能を強いない。」の立場以上には踏み出さないかも知れない。

ともあれ、私は本件を理由不備として破棄差戻をすることに敢て強く反対しないが、以上が、私の意見である。

(裁判長裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己)

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